鋼、勝ち越し。
— 名古屋場所十三日目。
序二段最後の一番に登場したのは、音羽山部屋の鋼(前田さん)と、勢い盛んな二十歳の新鋭・風佑城。
この取り組みを、鋼ファンはもちろん、旧井筒部屋を応援してきた多くの方が見つめていたことでしょう。
若さ溢れる風佑城は、肌のハリも目の輝きもまさに今が伸び盛り。
対する前田さんは、年齢も経験もまったく違う立場。
ですが、誰が相手であろうと
「ぶっ飛ばしてやる」
という気持ちで立ち向かう姿勢は、昔も今も変わりません。
それでも、音羽山部屋の設立とともに、急増した新弟子たちの指導、ちゃんこの準備、そして日々の雑務…。
そのすべてをこなしながら、稽古場に顔を出さない日はありません。
「正直、痛いところがない日なんてないっすよ」
と、笑いながらも気力で前に進み続ける姿には、もはや気迫しかありません。
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取り組み当日の朝も、他の力士ならゆっくり体を整える時間。
それでも前田さんは、自転車にまたがり颯爽と早朝からお出かけ。
「あれ?前田さん、今日は早いですね?」
「暑くなる前に動かないとヤバいんで!!」
関取の付き人の人数も、けが人も考えたら、自分が動くしかない。
朝5時に起きて台所を準備し、買い出しに出かけてから場所入り。
そのすべてを、当たり前のようにやってのけるのが、前田さん。
周りは前田さんを「鉄人」と呼びますが、それだけでは表現しきれない「背負った覚悟」がそこにはあります。
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そしてこの今場所は、もう一つの節目が訪れました。
床山・床鶴さん(部屋では敬愛を込めて「みつおさん」と呼ばれています)が、今場所をもって定年を迎えます。
いつものように前田さんの髷を結っている時、私から何気なく聞いたひと言。

「みつおさん、今まで何回くらい大銀杏結ったんですか?」
「うーん、寺尾関だけで1000回は結ったからなぁ」
興味だけて聞いたつもりですが、予想以上の数に絶句しました。
大銀杏だけでなく、きっと何千、何万回という回数の髷を結い、何百人という力士を土俵へ送り出してきたはず。
その質問をキッカケに、隣で新弟子の髪を結っていた床大さんも話に加わり、逆鉾関(旧井筒親方)や当時の力士とのエピソードにも花が咲きます。
「たくさんの力士を見てきたけど、たぶん全員覚えてるよ」
どの世界もそうですが、50年という人生をひとつの道にかけてきた人の言葉は、軽いようで後からずしりと響きます。
ふと、思いました。
「前田さんは、きっとみつおさんが最も多く髷を結った力士なのではないか」
そう考えると、二人の関係は、言葉では言い表せないような、愛情というには少し照れくさい”深い情”でつながっているように感じました。
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大相撲は、スポーツなのか神事なのかという議論はよくされます。
しかし、大相撲を単なる勝ち負けの競技としてだけみたら、本当の魅力は半分にも満たないことでしょう。
私は、大相撲にはもっと深い物語があると思っています。
それぞれが生まれてから育った人生があり、入門してからは、古文化と現代文化との摩擦に迷いながらの共同生活が続きます。
そんな人生のほとんどを一緒に過ごすことで、苦労だけでなく、喜びや本当の家族の歴史のような血の通ったプロローグがあります。
相撲が好きで応援してくださる方はたくさんいます。
でも、力士の人生や背景、こうした舞台裏にあるプロローグを知ることで、きっともっと深く、相撲を好きになっていただけるのではないかと思っています。
この音羽山の小部屋は、そんな想いではじめました。
今日勝ち越しを決めた一番も、そうした物語の上に成り立っていました。
みつおさんが結った髷をいただいて、鋼が土俵に立ち、無我夢中で相撲を取って勝ち、そして笑顔で花道を引き揚げる。
一見淡々としたその光景に、私は胸が熱くなりました。
床鶴(みつお)さん、50年の大仕事、本当にお疲れさまでした。
そして前田さん、勝ち越しおめでとうございます。
お二人の背中が、どれほど多くの人を前向きにさせてきたか、言葉では語り尽くせません。
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今日は泥のように眠り、明朝からまた自転車で走りまわる前田さんが居ることでしょう。
その姿を部屋の力士が見て
「この人のために勝ちたい」
と思えるようになってくれたら、また新たな愛と呼ぶには少し照れくさい”情”が生まれるのかな。
期待しています。
八之助