しこ名 | 西村(にしむら) |
番付 | |
本名 | 西村 和真 |
生年月日 | 2007年6月12日 |
出身地 | 京都府宇治市 |
スポーツ歴 | 柔道・レスリング・相撲 |
身長 | 175.0cm |
体重 | 150.0kg |
京都府宇治市出身。
幼少期は、時代劇を好む祖父の影響を強く受け
「侍や戦士」
に憧れを抱く。
実業団野球まで経験した父は、わんぱくで力の有り余る長男に野球を勧めるが、西村自身は自然と相撲や柔道といった格闘技に惹かれていく。
(戦うことに目覚めた幼少期)
小学校1年生より京都相撲教室に通い始め、3年生からは地元の柔道教室で柔道も学び始めた。
とくに柔道においては非凡な才能を見込まれ、愛知県大府市にある名門・大石道場へ移籍。
自宅から往復3時間に及ぶ道のりもいとわず、稽古に励んだ。
(なんでも相談できる父の存在はいつも大きかった)
父譲りの体格と恵まれた身体能力を武器に、相撲・柔道ともに全国レベルにまで登り詰める。
柔道では小学校4年生で全国大会初出場を果たし、5年生で全国3位に輝く。
一方で、柔道に打ち込みながらも相撲の稽古を怠ることはなく、午前中は相撲、午後は柔道という二刀流の鍛錬を続ける日々を送った。
中学進学を控え、相撲か柔道か、進路を定める必要が生じた。
これが西村にとって最初の人生の分岐点である。
(白鵬杯をはじめ、様々な大会で頭角をあらわす。アマチュア時代の大の里:右)
小学校4年生から大阪府の摂津倉庫での稽古に参加している。
その関係で、毎年3月には大阪場所の宿舎として利用される湊部屋の関取たちとの交流を経験した。中でも、幕内で活躍していた逸ノ城関から
「鳥取に優れた指導者がいる。相撲一本でいくなら思い切って挑戦してみてはどうか」
と助言を受けたことは、大相撲に憧れを抱く思春期の少年の心を大きく揺り動かすきっかけとなった。
また、小学6年生時点で体重はすでに110kgに達しており、柔道で今後も活躍を目指すには減量の必要があるという葛藤もあった。
食べることが好きで、体重増加が評価される相撲の方が自分に適していると感じたこともあり、柔道の指導者たちに惜しまれながらも、相撲一本に絞る決断を下した。
(中学進学直前、巡業で訪れた現役時代の親方横綱鶴竜とはじめての2ショット)
決意後は「どうせやるなら日本一を目指す」と、相撲強豪校として名高い鳥取県琴浦町の東伯中学校へ進学。
13歳にして親元を離れ、厳しい稽古と寮生活に身を投じた。
お世話になった人々への感謝と「必ず強くなる」という信念を胸に、ひたむきに土俵に打ち込んだ。
その努力は実を結び、中学3年の夏、北海道で行われた全国中学校体育大会相撲競技にて優勝を果たす。見事“中学横綱”の称号を手にする。さらに、白鵬杯でも個人優勝を果たした。
高校進学は同じく相撲強豪校であり、多くの関取を排出している鳥取城北高校へ進学する。
自分よりも強い選手が多い鳥取城北高校は、西村の才能をさらに開花させる条件がそろっていた。
1年時には全国高校総体で準優勝。
1年生で決勝に進出するのは中村泰輝(現横綱・大の里)以来、平成以降4人目の快挙だった。
2年時には全国高校金沢大会で優勝。さらに全国高校選抜十和田大会でも優勝を果たし、2年生ながら高校2冠を獲得した。
順風満帆と思われた西村の相撲人生も、最終学年を目の前にして、2回目の岐路に立たされる。
様々な事情が重なり、2年次を終了後、鳥取城北高校を退学。
物心ついた時からはじめた格闘技が自分の全てだった。
心技体ともに充実していて、高校卒業後は、大手を振って大相撲に乗り込む以外考えられなかった。
急にポッカリ空いた穴の中に突き落とされたような気持ちになり、自分が信じる道を突き進むことが信条であった西村が、自分が誰なのかさえわからなくなった。
そんな時、関係者を通じて音羽山親方と出会う。
自分の才能を理解してくれる人がいた。
「部屋に入ったら家族だから」
という親方の言葉は、今まで人を頼ることを考えたことがない西村の心の鍵を開けてくれた。
「親方を信じて強くなろう」
そう決めた瞬間に、若干13歳の息子が、京都を離れ暮らす息子をどう思っていたのか、実親の気持ちを振り返るようになったという。
自分には相撲しかない。
絶対に強くなって、お世話になった人に恩返しをする。
言葉ではなく、本当の心技体がそろった力士を目指し、2025年7月初土俵に上がる。